だから古典は面白い 幻冬社新書

経済学者の野口悠紀雄先生が古典文学の面白さと共に知識を得る手段としての効率の良さを説く。古典は、数百年の時を経ても読み継がれたものであり、人間の心理、社会への洞察に優れている。今、大量に出版されているものビジネス書、ノウハウ本の中で、これから十年先に読まれているものがどれだけあるだろうか。自分の貴重な時間を使ってそんなものを読む価値があるとは思えない、と述べている。なるほど。

以前、YouTubeでビジネス書の分野でヒット作をたくさん生み出している幻冬社の編集者箕輪厚介が、"今の時代に厚くて同じ事が何度も書いてあるような本を、出版しておいて本が売れないなんて言うのは、編集者の傲慢である。"という趣旨の発言をしているのを聞いて、その時はなるほどと思ったが、今もう一回彼の発言について考えてみると、これは生産者としての論理である。

"だから古典は面白い"の中で野口先生が取り上げている"戦争と平和"。昔、僕も頑張って読んだことがある。この中で繰り返し繰り返しトルストイが述べている命題が、"天才ナポレオンの作戦は、なに一つ戦場では実施されなかった。( トップと現場では大きな乖離があった。歴史の流れには逆らえない。)。箕輪厚介ならば、分厚く同じ命題をくどくとと述べている戦争と平和は、著者と編集者の傲慢であるということになるんだろう。これを野口先生は、トルストイ、ドフトエフスキーなどは読者に向けて書いているのではなくて、宇宙(神、真理)に向けて書いていると表現している。トルストイが何度もくどくとと書いているので、僕でも戦争と平和の命題は覚えていた。この命題は、色んな場面で物事を複眼的に見るのに役立ったのかもしれない。

現代社会でビジネスマンとして生活しているので、時代をキャッチアップするためのじょうほは必要であろう。でも、同じようなことが書かれている本ばかりを何冊も読む必要はないだろう。( 実は箕輪厚介の本も結構読んだんです)

今、時間が取れるので(コロナ騒動の最中です)、じっくり古典を読むにはいい時かもしれない。